7月が過ぎ8月も過ぎ、暑い夏が終わった。
9月10月11月…。地全協から馬主免許的なものが届くかもしれない。そう思って家の取り壊しを伸ばし伸ばしにしていたけれど、なんの気配もない。あまりになんの音沙汰もないから登録課に電話した。
「あのー、半年くらい前に書類お送りしたんですけど…、ホームページには5ヶ月くらいって書いてあるのに連絡がないので不安になってお電話してしまったんですが…」
「あっ、そうですか。お名前フルネームで伺えますか?……あっ、審査は進んでますよ。もうすぐのところまで来てます。だいぶ進んでます。もうすぐです」
ただ単純に書類をチェックするだけだと思ったら、なんだか蕎麦屋の出前みたいな答えが返ってきた。「もうすぐのところ」ってなんなんだ…。10人くらい偉い人のハンコが必要なところ、7人目とか8人目まで捺されたってことなんだろうか。謎。
「もういい加減古い家解体しますからねッ」
ついに現場監督に怒られてしまった。これまで、やれ家の中が片付かないだ、庭にある次郎柿の木を移植しないと、掛川からわざわざ苗木運んだ亡き爺さんが化けて出るぞって近所みんなに脅されてるとか、井戸のポンプは新しくしたばっかりでもったいないから残した方がいいってポンプ屋に言われてるとか、いかにも限界自治体住民っぽいさまざまな言い訳を弄して解体を後回しにしてきたけれど、馬主免許のまだまだ先なことが明らかになった今、監督に言い返す術はなかった。
「はい…」
ついに我が生家は解体された。
だが、感傷に浸っている暇は私になかった。地鎮祭が済んだその足でビバホームへ行った。一番安い、プリミティヴでオーセンティックな赤いブリキの郵便受けを買った。古屋の整理のためいろいろ買い物した際貯まったビバホームポイントを遣った。この郵便受けこそが私を馬主にしてくれる(かもしれない)唯一の味方なのだ。真っ暗になった更地に戻り、プリミティヴでオーセンティックな赤いブリキの郵便受けを設置した。「設置した」といっても、もともと国土地理院の地形分類図によると「自然堤防」になっているただの砂の更地である。笠松のダートと似たようなものだ。適当にちょっと手で掘ってグリグリっと置いただけである。風に飛ばされるかもしれないと思ったが仕方ない。とにかくこの、プリミティヴでオーセンティックな赤いブリキの郵便受けに全ては託されたのである。