2019年9月21日土曜日。私の姿はあおなみ線の名古屋競馬場前駅にあった。
2日前の秋桜賞、メモリーフェーブルがポルタディソーニに先着する姿などまったく想像しなかった私は、もう二度と馬券なんて買いたくない、と思うくらい負けていた。競馬場へ向かう足取りも重い。いきおい目線は下を向く。入管へ向かう日本人中年男性とベトナム人女性の喧嘩を,耳だけが把握していた。
スタンド隣の競馬会館に入り2階へ上がる。オーセンティックな会議用テーブルがロの字に並べられた会議室に10数名がいた。席につくと「愛知県競馬組合名古屋競馬賞金等支給基準」の冊子とセプテンバーセールのカタログが置かれていた。
正直,どんな話をされたかはよく覚えていない。だが,隔週でコンスタントに出走していればほとんど持ち出しがないことだけは理解した。調教師会長の藤ヶ崎一男先生が「無事是名馬とはよくいったもんで,とにかく丈夫な馬を持てば馬主さんもそんなに損することはないんです」と言っていた。「無事是名馬」という言葉を何度も繰り返していた。それを聴きながら「ほんとなのかなあ。預託料についてはなんか言わないような,奥歯にモノが挟まったような言い方するよなあ」と若干不安になったりした。今思えば,厩舎によってかかる費用がまちまちすぎて,月2走するだけでプラスになるところもあれば,4着くらいに入着しないと元が取れないところもあり,いくら会長といえど他の厩舎の懐具合をつまびらかにするわけにいかないからそういう話し方になっていたのだろう。だが当時の私は「馬主になる=伏魔殿に足を突っ込む=迂闊に振る舞うと身ぐるみ剥がされる」みたいな,東南アジアの雑踏を歩くくらいの緊張感で事にあたっていた。そんなに損はしなそうだという安心感と,いやいやケタ違いの金持ちがお金を溶かすプロの世界だろうという不安との狭間で常に揺れ動いていたのだ。
帰り際,藤ヶ崎(父)先生がピンクの色紙を配りはじめた。やった!宮下瞳さんのサインだ。これだけでも名古屋に来た甲斐があるぞ。
「皆様が無事に馬主資格を取得し,名古屋競馬に競走馬を預託いただきますことを心よりお待ち申し上げております」
思ったよりフレンドリーだったし,なんだか雰囲気よかったな。馬買って維持できるかはわからないけど,とりあえず資格を取ろう。そう思って帰路についたのである。